ありんこゲーム日誌

20代社会人ゲーマーがネタバレありでゲームの感想を書き殴ります!

【ゲーム日誌】ブレスオブファイアⅤドラゴンクォーター感想その1【PS2】

 

ブレス オブ ファイア V ドラゴンクォーター

ブレス オブ ファイア V ドラゴンクォーター

  • 発売日: 2002/11/14
  • メディア: Video Game
 

機種:プレイステーション2

発売日:2002年2月2日

ジャンル:RPG

メーカー:カプコン

キャッチコピー :そらをみにいく

※ゲーム日誌は敬語はやめて口語で書こうと思います。そしてもちろんネタバレ全開なのでご了承ください。

 

【ストーリー】大災害により地上を追われた人々が生きる地下世界で、ドラゴンは人々が地上に戻るためのプログラムとして存在する。ドラゴンとの親和性で優劣が決まるこの世界で、それほど優秀な親和性を示していなかったリュウは、ある事件を契機にそらを目指す。

【キャラクター】

リュウ=1/8192(主人公)16歳男性166cm

ニーナ 12、13歳位(推定)女性143cm

ボッシュ=1/64 男性 167cm

リン=XX 21歳 女 170cm 

https://www.capcom-s.jp/bof/history/bof5/#/rel/-/char/char_3

 

【設定及びストーリー冒頭】

このゲームの世界観は、大昔、地上がドラゴンによる大災厄に見舞われ人類は地下に住むようになり、もはや主人公が生まれた頃には人類は地下で生まれ地下で死ぬことが当たり前。

今や地上の存在が御伽噺になるほどの長い時間が過ぎているという世界観である。

 

この世界では、人類は簡単にいうと高層ビルを逆に地下に突っ込んだような地下の奥深く奥深くに掘り進められたシェルターに住んでいる。

高層ビルで高いところに住む人が一般的に裕福な人が住んでいるように、この世界でも地上に近いところに住んでいる人間の方が裕福で「位」が高い。

それに対して、地下深くに住んでいる人間は貧乏だったり、「位」の低い人間が住んでいる。

 

ではこの世界でいう「位」とは何を指すのか?

それは「D値」と呼ばれる数値である。D値とはドラゴンに対する適正値を示す値であり、この世界ではそのまま「才能」と読み替えても良い。

この世界ではかつて地上を取り戻そうとした歴史があり、当時の権力者が至った結論は「地上滅ぼしたドラゴンに対抗するにはドラゴンの力を得るしかない」という結論だった。

その結果人類はドラゴンの模造した生命体を作り、その力を人間とリンクさせ、リンクした人間に地上を目指させるという、人類が地上を取り戻すための「プログラム」が確立したのである。

そしてD値とはそのプログラムに対する適正値、つまりドラゴンの力を肉体に受け入れることができる才能を有しているか否かという値なのである。

 

しかし、ドラゴンの力は模造とはいえ絶大。リンクした人間の体に大きく負担を与える物だったためプログラムは失敗に終わった。

主人公が生きる時代では既にプログラム廃棄され、人類に地上を目指すものはなく、狭い地下で、本来の趣旨からはなれたD値という値が人間の位を示す値として残ってしまっている。

名前の後にある1/○という数字がD値であり、1に近いほど位が高い。D値はこっちの世界でいうマイナンバーのように個人の名前に紐づいているため、D値の低い人間は地上に近い場所で住むことが出来ないなどかなりのヒエラルキーが確立している。

 

前置きが長くなってしまったがこんな世界で主人公であるリュウ=1/8192(以下リュウは相棒であるボッシュ=1/64(以下ボッシュは最下層近くの警備員をしているところからストーリーが始まるわけである。

 

ここから本格的に感想に入るわけだがまずこのゲーム、上に書いた設定のように非常に陰鬱な世界観なのである。

私もゲームを始めた瞬間は「なんて暗いゲームなんだ」と感じたものだ。

しかしクリアしてわかるがこの陰鬱な設定はストーリーで非常に重要な役割を果たしている。

そしてその暗いゲームであることを象徴ヒロインであるニーナの存在である。

 

このニーナ、いたいけな少女の外見をしているがなんと言葉を話すことができない。

そして本来名前に紐づいているべきD値がない。それが何を示すかというとニーナは「人間空気清浄機」なのである。

なんだそれ?という声が聞こえてきそうだが、この世界、地下へ地下へと掘り進め、限られた環境に多くの人間が住んでいるため、空気の汚染が社会問題となっているのである。

その結果、生まれたのがニーナのような「人間空気清浄機」。

つまり人間を実験体として利用し、D値を抹消し、人工的な空気清浄用の肺を移植して、死ぬまで空気清浄機がわりにしてしまおうという狂気の計画の犠牲者なのである。そして実験の後遺症として言語能力が失われてしまっているのである。

人間にマイナンバーのように一人一つ必ずあるD値。それを抹消されているということはニーナは人間として生きていることを許されない「道具」としての生命体なのである。

 

どう考えてもエグすぎる設定である。

 

そして物語の冒頭。リュウボッシュがとある荷物の警護にあたるところからストーリーは始まる。


この荷物というのがニーナであり、ニーナと出会ったリュウはその存在に疑問を抱く。

リュウはお世辞にもD値が高い人間ではないが、次第にニーナを救いたいという気持ちを抱くようになるのだが、それに対してボッシュはニーナに対して情を抱くべきではない、ただの道具であるという価値観を崩さない。

 

この時点でリュウは自分の意思で生きていくという価値観に対して、ボッシュはこの世界の価値観に染まりきっているのが非常によくわかる。

これはボッシュのD値が高く、この腐った世界でも一定以上の幸福を享受できることから起因しており、この作品のテーマである

「自分に従うか、世界に従うか」

というテーマ性が表れてくる。

つまりボッシュは地下で生きていくことが当たり前になった人類の価値観の代名詞のような存在として描かれ、自分の意思で生きようとする=世界の価値観にとらわれないリュウとの2項対立のように描かれているのである。

 

ニーナという存在はこの世界が生み出した必要悪のような存在であり、この世界で生きていく以上ある程度仕方ない犠牲として描かれている。

したがってニーナを救うことは世界のルールに反くことになる。しかしリュウは一人の少女を救いたいという気持ちで相棒であるボッシュを道を違え、ニーナを救う旅に出るのことになるのだが、この時点で「暗いゲームだなぁ」と思ってゲームを始めた私は徐々に物語に引き込まれて始めていた。

 

ニーナを救おうと、ニーナを連れ出したリュウはこの世界にとっては法律違反の暴徒でしかなく、様々な刺客が襲いかかってくるのだが、その刺客の一人がリュウたちに対して、なんと毒ガス攻撃を仕掛けてくる。

私もえ?こんな世界でそんなのあり?と思ったが案の定リュウは瀕死になってしまう。

 

この逃げ場のない地下世界での毒ガス攻撃で死の淵に立つリュウを救うために、なんとニーナは自分の空気清浄用の肺を使用し、リュウの周りの毒ガスを吸引してしまう。

リュウが目を覚ますと、そばには自分のために肺を使用し、瀕死になるニーナ。

このままこの汚れた空気が満たされるこの世界ではニーナは生きていけない。

決心したリュウが発した言葉は

「ニーナ、空に行こう」

もはや本当にあるかどうかもわからない。あったとしてもニーナが生きていける環境かどうかもわからない。それでもリュウはニーナを救うために、この世界の仕組みを壊して、空を目指していくというストーリーなのである。

このシーンを見た瞬間、暗いゲームだなぁと思っていた私もこの「ゲームを必ずエンディングまでプレイすること」を決心し、PS2のコントローラーにがっぷりよっつでゲームに熱中していた。

 

 

 

あまりに好きすぎて長くなっちゃったので続きはまた明日。

 

 

 

 

 

【あとがき】

 このブログを初めて最初に書くゲーム日誌、どのタイトルについて書こうか迷ったかというと、実を言うと全く迷っていない。

なぜかと言うとこのタイトルのゲーム日誌を書きたくてブログを開設したに等しいからである。

 

私は何を隠そう普段からIGN  JAPANさんがYouTubeなどで公開している番組「しゃべりすぎゲーマー」のヘビーリスナーなのである。

(しゃべりすぎゲーマーとはゲーム情報メディアであるIGN Japanさんの編集者の方やフリーライターの方が毎週ゲームに関するテーマであれやこれやと話し合う番組であり、この番組のポッドキャスト版を流しながらドライブするのが私の大好きな時間なのだがそれはまた別の記事で)

そのしゃべりすぎゲーマーの今週のテーマが「印象に残ったボス戦」というテーマだったのだが、そのテーマを聞いた瞬間にまず最初に思いついたのがこのブレスオブファイアⅤドラゴンクォーターだった。

残念ながら、番組内でこのゲームが話題に上がることはなかったが、いちゲーマーとしてこのゲームの素晴らしさをみんなにわかって欲しいと謎の使命感に駆られ、YouTubeのコメント欄に感想を書き殴ろうとした。と言うより書き殴っていた。

 

我に帰った時、そこには明らかにYouTubeのコメント欄という公共性の高い場所に書くべきではない自己満足の溢れる長文感想が出来上がっていた。なんとか送信ボタンを押す前に気がつくことができたが、送信していた場合は「隙あれば自分語りすんな」と書かれていたに違いない。

 

そこで、自分が好きに感想を書き殴れる場所が欲しかったというのがこのブログ開設の端緒となったわけである。